あんぽんたんblog

忘れたくないことはいつか忘れてしまうのでメモしてから安心して忘れる。

BOaT / Mr.Crowly On The Beach

LONDON NITE 4“OLD&NEW FRIENDS-UNITY”

LONDON NITE 4“OLD&NEW FRIENDS-UNITY”

なんかもうあっという間だった、と毎年言っている気がする。祭りに行って、花火を見て、懐かしい人に会って。今年の夏はけっこう満喫したつもりではいるのだけど、それでもやっぱりこの時期になると何かやり残したような気持ちになる。豪雨にうたれて、ガリガリ君食って、頭痛くなって。もっと良い過ごし方があったかもなあ、とか思うのは欲張りだからじゃなく、もっと公的な行事のようなものだとは分かっているのだけれど。結局どう過ごしたってこの時期の憂鬱には抗える気がしない。ただ、カレンダーの空きを埋めて遊び惚けた夏も、室内で怠惰に過ごして浪費した夏も、もう少し経てば等価値というか、コレがあってこそのアレだなあ、と思えるようになるはず。全部ひっくるめて眩しくなってしまうまでの束の間。さて、どう過ごすのが締めにふさわしいのか。いつも悩んでいるうちに涼しくなる。


BOaT / Mr.Crowly On The Beach

Alt-J (∆) / Taro

Awesome Wave

Awesome Wave

浅いところをくすぐる音楽が好きなんだけれど、それは深いところを鷲づかみにする音楽があってこそだなあと感じる。そういう音楽はだいたい現実と直面しているものが多く、安易に逃避させてはくれない。どうしても自らが抱えている問題を思い起こさせてくる。でも結局それを片づけないと逃避的な音楽を娯楽としては楽しめない。不安をスパイスになんていうのは他人事だから言えること。感傷の風景を眺めてそこに溺れていたいと思う気持ちは、ある意味では贅沢というか余裕がないと生まれないもののように感じる。あくまで嗜好品程度の距離感で楽しむのが健全なように思う。それを超えて依存してしまうと信号の色が変わってしまう気がする。


Alt-J (∆) - Taro

D'Angelo / Untitled (How Does It Feel)

Voodoo

Voodoo

微妙なニュアンスを表現することに定評のある日本語で言い当てられない感情はあるんだろうか。言葉が不自由な自分としてはソウル由来の音楽を聴くといつも言葉に詰まってしまう。感動しているのは自覚していてもどの感情が反応しての感動なのかが説明できない。感傷と呼ぶには重みがありすぎる。物憂げではあるけれど、そこには確かな営みがあって生への力を感じさせる。じゃあ上昇志向かと言われればそういうわけでもない。英語にはエモーショナルという超絶便利な言葉があるけど、あれは大雑把すぎてオルタナティブロックと同じくらい仕事をしていない。と、ここまで書いて感情もクロスオーバーするだろうし、レッテル貼りに意味がないことに気づく。