あんぽんたんblog

忘れたくないことはいつか忘れてしまうのでメモしてから安心して忘れる。

水曜日のカンパネラ / 一休さん

駄菓子屋を中心に持ち前のジャイアニズムを発揮して独自のコミュニティーを築き上げてきたコムアイ率いるユニットのメジャーデビュー作である。周知のとおり「サーヴァントと契約するのが夢だった」と語る彼女の妄執は、世紀を跨いだ変人を現代日本に再現することで逆説的にアイコン化されたヒト・モノのブランドをはぎ取ることに成功しており、資本主義のごまかしを明らかにしようとする試みを込めた商業音楽としてこの時代を再定義する問題作となっている。


本作には家具の音楽を継承した巨匠イーノの隣人であるウーノをプロデューサーに起用している。巧みなスキップやリバースでピンポイントに感情をなぶる様から隣に座りたくない男として実績を重ねてきた人物だが、このアルバムにおいてもその手腕はそこはかとなく発揮されている。隣人の不在を思わせる作りからは篠田昇亡き後の岩井俊二作品をも参照に挙げられるほどである。

過去の変人を並べては無記名化するナンセンスなウーノ・サウンドは、その在り方も含めて2010年代初頭に流行したヴェイパーウェイヴと共振する部分もあり、役目を終えた大量生産品への憧憬を重ねることができる。これについて禅に通じている向井何某は「福岡市博多区にあった通いのラーメン屋がいつの間にかチェーン化していた時の気持ちを思い出す」とコメントを残している。

この示唆に富んだ言葉を顧みると納得する部分が多い。湯河原町にあるラーメン屋「飯田商店」がいつの間にか行列ができるほどの人気店となり、最近ファミリーマートと提携して商品化を果たしたことを知ったときの複雑な思いは筆舌に尽くしがたい。資本主義の波にのまれる前のあの素朴な店構えと人の良い店長はブランドという名のごまかしに惑わされず味を守り続けられるのか。

そういう戦いに負けずに残った過去の変人たちをサーヴァントとして利用した本作の意義について、水曜日のカンパネラのアルバムを一度も聴いたことがなく、なに一つ知識を持っていない私には分かるはずもない。事実に基づいた事実っぽいデタラメで煙に巻こうとする姿勢がナンセンスな彼女らのイメージとシンクロする気がしたのだが、実際のところは分からない。だって水曜日のカンパネラのことを本当にまったく何も知らないのだから。